梅宮アンナさんと言えば、父親は昭和のスターと言われた俳優・梅宮辰夫さんで母親はアメリカ人で元モデルのクラウディアさんとの間に生まれたハーフでスタイル抜群な女性ですね。
若い頃はモデルとして活躍され、特にファッション雑誌「JJ」では女性の憧れの的でした。
その梅宮アンナさんのモデル時代の若い頃の綺麗な画像や、当時の彼氏であった羽賀研二さんとの関係について調べていきたいと思います。
梅宮アンナのプロフィール
梅宮アンナさんのプロフィールです。
名前:梅宮アンナ
読み方:うめみや・あんな
生年月日:1972年8月20日
年齢:52歳(2024年10月現在)
出身地:東京都渋谷区
血液型:O型
身長:168cm
活動期間:1992年~
特技:家の空間プロデュース・洋服のコーディネート
趣味:車・コスメ・スキー
梅宮アンナさんの父親は俳優である梅宮辰夫さん、母親は元モデルでタレントの梅宮クラウディアさんです。
アンナさんは20歳でモデルとしてデビューし、ファッション雑誌「JJ」の表紙を飾り、CMでもひっぱりだこになるほど人気がありました。
1994年の22歳の時には、TBS系ドラマ「カミング・ホーム」で女優デビューし、親子共演を果たします。
30代入るとバラエティ番組にも出演し活躍の幅を広げ、現在は老若男女問わず幅広い層から人気があるタレントとして定着しました。
2020年12月には、自身のプロデュースアパレルブランド「anmo closet」の商品発売を開始したりと、特技を活かしての活動など勢力的に活動しています。
2024年8月にはご自身が乳がんステージ3Aと公表されました。
父・梅宮達夫の死を乗り越えて
アンナさんが47歳の時、父親である梅宮辰夫さんがご逝去されました。
芸能界で偉大な存在である父親とカリスマ性のあるアンナさんとの関係が、再び、マスメディアで「介護」や「親が亡くなった後の書類の手続きや家の売却などの後始末」など、壮絶な体験を語る機会を求められることが増えたそうです。
【画像】梅宮アンナのモデル時代の若い頃が綺麗!
梅宮アンナさんは1992年の20歳でファッションモデルとして芸能界にデビューします。
当時、女子大生に人気がある「男性が好むコンサバファッション」で有名な「JJ」の看板モデルとして、表紙を飾り続けました。
その表紙登場回数はなんと25回と言われており、当時の人気の高さがわかりますね。
その一部を見てみましょう。
当時は細い眉毛がトレンドだったことがわかりますね。
ハーフでスタイル抜群な姿は同誌を支えてきた歴代レジェンドモデルといってもいいでしょう。
父・梅宮辰夫の部屋にはJJが30冊も
父親の梅宮辰夫さんは、仕事のことに関しては、何も口出ししない主義だったそうですが
ある日、父親の部屋に入ってたら、30冊くらい「JJ」があったと、アンナさんが語っていました。
陰ながら、気にしていたのでしょう。
1人娘さんですから、アンナさんが可愛くて目に入れても痛くないほど可愛かったに違いありません。
デビューのきっかけは?
アンナさんの芸能界デビューのきっかけは父親の梅宮辰夫さんの影響というより、スカウトのようですね。
「芸能界は身近すぎて、全然興味がなかったんです。そもそも、人前に立つのが嫌いで。でも高校生だったある日、家庭教師の友人のピンチヒッターとして『JJ』の読モに。謝礼の5000円に釣られました。
Smart Flash
すると、以前からしつこくスカウトしてきていた事務所の人が、すごく怒っちゃって。振り切るために『JJモデルにしてくれるなら、事務所に所属してもいいよ』って啖呵を切ったんです。そしたら、本当にモデルになれちゃった。
Smart Flash
アンナさん強気で攻めましたね。。。
海外ロケは月4回でアイデアも提案
JJのモデル時代は、多い時で月に4回海外ロケに行かれていたそうで、撮影の時にアイデアを出したりと充実していた時代だったと語っています。
「とにかく、よく海外ロケに行きました。多いときで月4回とか。『MILANO BOOK』の撮影では、アイデアを出したりもしましたね。
当時は撮られるだけでなく、一緒に雑誌作りをしている感覚でした。『カバンの私物を公開してみよう』って言ったら企画になったり。いまの若いコが『インスタで憧れのコを見たい』って感覚に近いかな。
Smart Flash
主なテレビ・CM出演歴
梅宮アンナさんの若い頃の主なテレビやCMの出演歴です。
テレビ・バラエティー
- ねるとん紅鯨団(フジテレビ系)
- 山田邦子のしあわせにしてよ(TBS系)
テレビ・ドラマ
- 2000年:日本テレビ系「OLポリス」
- 2001年:日本テレビ系「天国に一番近い男」-冴島 リンダ役
- 2001年:日本テレビ系「ビューティー7」-南美鈴役
- 2002年:日本テレビ系「リモート」-マイコ・ジャクソン刑事役
- 2007年:テレビ朝日系「特命係長 只野仁3rdシーズン」常磐夏希役
- ホテイフーズ・ツナカルサラダ専用
- カネボウ・プロスタイル スーパーボリュームダウン
- エバラ食品「蒟蒻と海藻サラダ」(父・梅宮辰夫を共演)
- エステティックサロン「ソシエ」
- バドワイザー
- 日本コカ・コーラ(ダイエットコカ・コーラ)
- CHINTAI(神田うのと共演)
- コーセー「サロンスタイル」(シャンプー)
- PEACH JOHN
- バスクリンとピュアスキン
当時の彼氏・羽賀研二との交際が話題となった!
JJの表紙モデルで一躍有名になった梅宮アンナさん。
当時の彼氏は元いいとも青年隊だったタレントで俳優の羽賀研二さんでした。
出会いは高校生の時
2人の出会いは梅宮アンナさんが高校生の時だったと言われています。
その時は「すごい遊び人だな」といった印象だったとか。
そして数年後、あるバラエティ番組で共演したのが付き合うきっかけになったそうです。
初対面から数年たって、あるバラエティ番組のデート企画で一日中一緒にいたんですね。そしたら、私の話をすごく聞いてくれるわけですよ。その前に好きだった人が自己チュー男で、「僕の話を聞いて」っていう人だったから、とても親切なんだな、と思って。ほら、女って話を聞いてもらいたいし、こっちも若くて経験もなかったから。
アサジョ
ご自身いわく、ビニールハウス育ちで
「世の中に悪い人はいない」
と育ってきたので羽賀研二さんの言葉がとても優しく感じたそうです。。
2人が付き合い始めた頃から、羽賀研二さんには多額の借金があったと後に気づきます。。。
写真集「アンナ・愛の日記」
羽賀研二さんの素行の悪さに感づいていたのか、2人の交際について猛反対していた父・梅宮辰夫さん。
羽賀さんに対して叱責や批判をよくしていた為、マスコミはこの噂を好んで、よくスクープされていました。
当時は「バカップル」との見出しの雑誌も多く出回りましたね。
そんな中、2人は1995年にヘアヌード(当時はペアヌードと呼ばれてました)写真集を突如出版します。
撮影はあの有名な篠山紀信さんに、梅宮アンナさんが自ら電話番号を探して、お願いしたと言われています。
この写真集を企画したきっかけは「羽賀研二さんの8,000万の借金の為」と言われていましたが、
これは、アンナさんが想い出に残したいといった記念に出版したそうです。↓↓
「彼の借金返済のためって報じられたけど全然違う。篠山さんに撮ってもらって、思い出に残したいという私の発案だったの。自分で電話番号を調べて、篠山さんに連絡したんです」
デイリー新潮
メキシコの西部の海岸で撮影が行われ、この写真集が出る頃には連日、世間の関心は、このトライアングルな関係の噂で持ち切りでした。
「写真集の話が決まった時、私は開口一番、『どこで撮影できるんですか』『タイトルはどうしよう』って。でも、彼の聞いたことは、『篠山さん、本出したらいくらになりますか』だけ。お金に忙しい人だなと思った。余裕が無いと人間的につまらなくなっちゃうんですよね。私とは価値観が全然違うんだと感じましたし、写真集への考え方に、大きなギャップがあったのです」
約5年で破局
1999年に、アンナさんのほうから別れを告げることになります。
その別れのきっかけは、ある女優さんと俳優のハワイでの挙式の場面でした。
ある女優さんと俳優さんの結婚式に招かれて、ハワイに行ったんですね。で、ケーキ入刀の時に司会の人が「夫婦そろっての初めての共同作業です」って言うじゃないですか。
そう思ったら、何だかいろいろなことが自分の中で一気に崩れちゃって、先が見えなくなったんです。で、次の日に仕事で先に帰る彼を私が空港まで車で送って行って「バイバイ」って普通に見送ってから、それ以来ずっと会ってないですね。
アサジョ
2人は結婚まで考えていたようですが、アンナさんは色々な事がありすぎて、もう羽賀研二さんとの将来一緒に歩んでいくことは厳しいとわかってしまったのでしょう。。。
羽賀さんは未練がかなりあったようで、アンナさんと父・梅宮辰夫さんにテレビを通して未練があることを発言していました。
「僕は今でもアンナを愛している。彼女もまだそう思っているはずだ」
しまいには、梅宮パパから「もやはこれまで。男らしくしなさい」と諫められるシーンが、今も記憶に残っている。
Asagei plus
結局、アンナさんは羽賀研二さんの借金の連帯保証人になり、8,000万円を肩代わりしたことを公表しました。
この件は梅宮辰夫さんが一緒に返済したと言われています。
2000年以降、一時はテレビから姿を消しましたが、近年は再びバラエティ番組やトーク番組などの出演で元気な姿が見られるようになりました。
梅宮アンナさんはご自身の今の思いや状況をオープンに語り、同年代の女性に共感を得て人気があります。
現在闘病中ですが、色々と困難な事を乗り越えてきた人ですから、きっとまたひょいと乗り越えて、明るい姿で戻ってくることでしょう。