桂由美さんは日本のブライダル業界の第一人者で、世界的にも認知度の高いデザイナーです。
多くの著名人に愛され、ドレスのデザインの依頼も旅立たれる直前まで携わっており、ご年齢が90歳過ぎてもお元気で素敵な装いをされていました。
そんな素晴らしいデザイナーであった桂由美さんですが、学生時代は演劇部に所属され、将来は役者になりたいと思っていたそうです。
なぜ役者を断念してデザイナーの道を歩まれたのか?
理由を3つまとめてみました。
桂由美のプロフィール
桂由美さんのプロフィールです。
名前:桂由美(かつら・ゆみ)
本名:結城由美(旧姓:満生)
生年月日:1930年4月24日
年齢:94歳(2024年4月26日没)
出身地:東京都
学歴:共立女子大学卒業
家族:夫(結城義人1972年‐1990年死別)
桂由美の経歴
- 共立女子小学校・中学校を卒業
- 共立大学卒業後、フランスへ留学
- 1964年:日本初のブライダル専門店をオープン、ブライダルファッションデザイナーとして活動を開始
- 1969年:一般社団法人・全日本ブライダル協会を設立
- 19676年:日本フォーマルウェア協会設立
- 1999年:東洋人初のイタリアファッション協会の正会員に選出
- 2005年:パリ・カンボン通りのシャネル本店前にパリ店をオープン
- 2023年:東京都港区名誉区民に認定、蚕糸(さんし)功労者最高賞・恩賜賞を受賞
桂由美さんは、日本のブライダル業界の第一人者です。
日本では和装での結婚式が主流であった時代に、ウェディングドレスでの結婚を持ち込まれたブライダル業界の先駆者です。
素晴らしいウェディングドレスを生み出されてきただけでなく、日本の結婚式の文化も変革されたかたです。
桂由美は役者志望だった!
そんな素晴らしい経歴をお持ちでいらっしゃる桂由美さんは学生時代、役者志望であったと言われています。
1949年、新制大学の1期生として共立女子大家政学部に入学した頃、私を洋裁学校の後継者にしたい、という母の思いがかなり重荷になっていました。自分は別の道を進むという強固な意志が、ますます私を演劇の道にのめりこませたのです。
読売新聞オンラインより引用
桂由美さんの母親は洋裁学校(現在は東京ブライダル専門学校)を立ち上げた人物で、長女である桂由美さんを跡継ぎとして考えていました。
その重圧から逃れたいという思いもあったのか、小学校から始めていた好きな演劇から役者の道へ進みたいという、強い思いが膨らんできたようですね。
色々と葛藤もあったようですがデザイナーとしての道に進むことを決意したようです。
【理由3選】母親の学校を継ぐためにデザイナーになった?
なぜ役者としてではなく、デザイナーの道を選んだのでしょうか。
3つの理由を見ていきたいと思います。
デザイナーになった理由①:学校の後継者にしたい母親の思い
桂由美さんがデザイナーになった理由の1つ目は、母親が立ち上げた洋裁学校の後継ぎと言われていたからです。
1943年には、母の強い希望で共立高等女学校に入学しました。良妻賢母を養成する学校で、母はこの頃から自分の学校の後継者に、と考えていたようです。
読売新聞より
小学校の高学年になると家庭科の授業で裁縫を習いますが、桂由美さんは裁縫が大の苦手だったそうです。
先生から「あなたのお母さんが裁縫学校の校長先生なのにどうするんですか」と苦言を呈されてしまい、益々嫌いになってしまったとか。
デザインは得意だったので、裁縫以外の分野で働けがよいと考えたそうです。
母の学校を継ぐことを決意した。苦手な裁縫は他の職人に任せ、自分は洋服の別の分野で働けば良い。デザインが得意なので、そちらで頑張れば良いと気づいたからだ。
読売新聞より
デザイナーになった理由②:役者としての才能に疑問をもった
2つ目の理由は、大好きだった役者の道に進みたいと思っていましたが、同じくらいのレベルの役者さんが沢山いると自覚したようです。
高校時代は演劇部の中心的な存在だったと思っていた自分も、ここでは特に演技がうまいわけでもないし、美人でもない。私ぐらいのレベルの人は山ほどいることを思い知らされました。俳優という職業がいかに大変かを目の当たりにしたのです。
読売新聞より
そして大学時代に入団していた文学座のグループリーダーからも、大学を卒業してからでも役者になるのは遅くないからと遠回しにアドバイスをいただいたそうです。
この件はお母様も関わっていたようで、劇団に相談していたようです。
どうしても演劇をやめさせたかった母は、文学座の看板俳優で、私のグループのリーダーだった芥川比呂志さんに相談しました。
芥川さんから「女優になるのは大学を卒業してからでも遅くない。まずは勉強をしなさい」と諭されました。自分の能力の限界を感じていただけに、芥川さんの忠告を機に演劇の道に進むのを断念しました。
読売新聞より
桂由美って、文学座の演劇研究所にいたのか。。
— 三十郎 (@twodayzhiro) February 24, 2024
今朝起きたら、桂由美さんの特集をやってて
— ひめちゃん (@himechan_konju5) February 24, 2024
ウェディングドレスのモデルさんにダメ出しをしてて「あの子じゃだめよ」って。個性が大事なんだからって。
ファッションも芝居の世界と同じなんだなぁって思ってたけど、桂由美さんのドラマ見てたら演劇をやっていたと知る。ルーツがあったんだなぁ。
学生時代に演劇活動にのめり込んだ事は、後にコレクションの演出やドレスのデザインにも活かされた事は間違いないようですね。
デザイナーになった理由③:キラキラした空想の世界が好き
3つ目の理由は、幼少期の頃からプリンセスの世界が大好きで、想像力が豊かな少女でした。
その感性は大人になっても変わらず洋服で表現したいという願望が強くなったようです。
幼いころからキラキラしたものが大好き。絵本に登場するお姫様やお城に憧れていました。父が連れて行ってくれた本屋さんで絵本を読みふけっていたのが、私の原点となる記憶です。夢を描き、空想の世界を広げた子供時代の経験が、ウエディングドレスデザイナーという仕事につながったのかもしれません。
日経ビジネスより
幼少時は「おとぎ話が大好きな女の子」だった。日曜になると父親にせがんで絵本を買ってもらい、母親から「あなたの絵本で家がつぶれるわよ」とあきれられた。近所の駅前でシンデレラなどの絵本を読み上げていると、「まだ3、4歳なのに字が読めるのか」と見物人に囲まれた。だが実際は絵から読み取れるストーリーを語っていただけ。当時から想像力が豊かで、プリンセスの世界が大好きだった。
毎日新聞より
式場は桂由美先生のドレスが着れるか否かが決定打でした。結婚式ではずっと憧れていたユミラインのドレスを着ることが出来て、本当に本当に幸せでした。(夫の衣装もYumiKatsuraです)
— いぇら (@IERA_css_star) April 30, 2024
私をプリンセスにしてくれて、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。#桂由美 #yumikatsura pic.twitter.com/izX2LMKdFi
プリンセスの世界が大好きだった桂由美さん。
その背景がドレスのデザインに現れていると感じました。
ご冥福をお祈りいたします。